朝、携帯のアラームを止め、寝ぼけながらヤフーニュースのトップ記事を見ていた。
’’9歳男児転落死’’
場所は新宿区歌舞伎町。
しかも、早朝だ。
男児が誤って落ちてしまったのなら、なぜ非常階段にいたのか、親は何をしていたのかと第一報のニュースからでは謎だらけだった。
転落なのか
年齢は違うにしろ、子を持つ親としてはこの年末になってまで痛ましい出来事が起きてしまい、その男児や親の気持ちを想像せずに入られず、胸が苦しくなってしまった。
しかし、やはり不可解すぎて事件性も感じてしまった。
ニュースの続報を見ると、母親と男児の妹もその場に一緒にいて、
無理心中を図ろうと、まず男児を柵に座らせ故意に落としたということであった。
僕は、事件現場の場所を知っている。
西武新宿線沿いの道から少し中に入ったところにある。
目の前には交番がある。
大きな音を聞いて警察官が駆けつけたとあるが、相当大きな音がしたに違いない。23階から転落し、地面に叩きつけられた男児。
親に指示され、落とされ、怖かっただろうに痛かっただろうに。
男児の気持ちを考えると、他人事とは思えない。
次の日、歌舞伎町に行く用事があり、事件現場付近と通った。
もうすでにいつもと変わらない日常に戻っていた。
母親について考えた
同じ子を持つ親としては、
「母親は何をしているんだ。」
「自分の子を転落死させるなんて理解できない。」
と、怒りの感情さえ芽生えてしまう。
しかし、事件を単に事件として消費し、母親に怒りをぶつけてもしょうがないので、個人的に洞察して、自分事として考えてみたい。
ニュース記事からの単なる想像なので、真実と異なる可能性大なのは承知してほしい。
年末ということを考えると、今年の仕事がうまくいかなかった、もしくは12月末で仕事がクビになったということがあるのかもしれない。
歌舞伎町という立地から考えてしまうのは、夜のお仕事もしくはそれに近い仕事なのかもしれない。
もしそうであれば、47歳という年齢を考えると経営側に回っていなければ、再就職という道も難しいのかもしれない。
父親の存在が出てこないことを考えると、
シングルマザーであり、仕事と2人の子の育児の両立を考えると、かなり困窮していたり、精神的に追い詰められていたのかもしれない。
父親母親二人で一人の子を育てる自分でも、仕事と子育ての両立は難しいと感じる。
一人で仕事をしながら、小学生とはいえ二人を育てることはかなり大変だと思う。
僕にはできない。
子供たちは小学校が休みに入り、多くの子どもたちにとって、クリスマスやお正月など楽しい出来事が続く年末年始だ。
そういう楽しい思いをさせられない、仕事も上手くいかず、罪悪感を感じたり来年に向けての希望がもてなかったりで、無理心中を考えてしまったのかもしれない。
溜めのなさ。
僕の洞察がどうであれ、
「47歳シングルマザー」、「二人の子育て」というワードから、
母親の「溜め」のなさを感じてしまう。
もちろん、何かしらの支援を受けていたり、同様の立場でもばりばりやっていけたりする母親も多くいるので、一括にはできないことは承知だ。
「溜め」という言葉は、貧困問題に詳しい湯浅誠さんが著書の中で使っている言葉で、
「溜め」とはお金や人間関係など貧困を抜け出す資源のようなものと考えてもらえばいい。
貧困に陥ってしまう人は、この「溜め」が少なく、頑張っても頑張っても貧困から抜け出せない負のサイクルになってしまう人が多い。
学校現場で働いても、仕事や自分のことでいっぱいいっぱいになってしまい、育児を放棄や放任、家庭内暴力になってしまう家庭も多いように感じる。
一昔前のように、親戚や地域全体で子どもを育てるといった意識が希薄になってしまったことで、両親の責任は大きい。
学校現場でできることはなにか。
学校の業務は昔と変わり学習指導だけでなく多岐にわたってきているので、仕事の棲み分けや分担を各種機関としていかないといけないと思う。どう連携していくかも難しい課題。
現状、個人的にできることは「気づき」の視点をもつことだ。
子どもも変化や親の悩みに早くに気づき、寄り添うこと。
そして、子ども支援だけでなく、親支援の一つのプラットフォームとして学校が機能していくこと。
こういった事件がなくなることを祈る。